株式会社ほぼ日「気仙沼のほぼ日」

宮城県気仙沼市に「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社を構え、様々なプロジェクトを展開

株式会社ほぼ日
山下哲(左)/冨田裕乃(右)

支援プロジェクトの概要コミュニティ支援

2011 年 11 月 1 日に宮城県気仙沼市に「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社として「気仙沼のほぼ日」を開設。現地スタッフを中心にインターネットで日常的にコンテンツを発信するとともに、ここを拠点に立川志の輔さんとの落語会「気仙沼さんま寄席」や、手編みセーターを製造・販売する「気仙沼ニッティング」、東北に 100 個のツリーハウスをつくるための「東北ツリーハウス観光協会」などが生まれた。

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  • Q1プロジェクトの概要を教えてください

    2011 年 11 月 1 日に宮城県気仙沼市に「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社として「気仙沼のほぼ日」を開設。現地スタッフを中心にインターネットで日常的にコンテンツを発信するとともに、ここを拠点に立川志の輔さんとの落語会「気仙沼さんま寄席」や、手編みセーターを製造・販売する「気仙沼ニッティング」、東北に 100 個のツリーハウスをつくるための「東北ツリーハウス観光協会」などが生まれた。

  • Q2プロジェクト開始の経緯を教えてください

    震災から 3 日後の 3 月 14 日に開いた全体会議で、代表の糸井重里が「自分たちはたいしたことのないもの。できることを探して、それをやっていこう」と呼びかけ、会社として活動することを正式に決めた。
    気仙沼との縁は、糸井がツイッター上で「セキュリテ被災地応援ファンド」の存在を知り、活動の趣旨に共感したところから始まった。様々な関係者と知り合い会話を重ねる中、 7 月初旬に現地を訪ねた糸井が自身のツイッターで「支社をつくる」と宣言し、翌日に社内向けに発表された。糸井の鶴の一声で、一気に事態が動き出した格好だ。糸井を中心に、現場を訪問したスタッフは現地の人間性やもてなしに感動し、「長い付き合いになる」と思い支社を構えることにした。
    支社には、身体の小さなツボを「指圧する」ような効果を期待した。つまり、外から自分たちが入り、内外の交流が増えることで地域の血の巡りがよくなれば、身体が温まっていくような効果。一気に大きな力を爆発させるよりも、こうして心臓が絶えず動き、少しずつ日常を取り戻すようなことが大切だと考えた。

  • Q3それを社員はどう受け止め、意思を共有しましたか

    自然に受け止める空気感が強かった。ただ、当初は糸井をはじめ現地を訪ねたスタッフと、そうでない社員との間に温度差があったのも事実だ。そんなとき糸井が「出番が来る時期や役割はそれぞれ違うから、それまで力を溜めておいてほしい」と呼びかけた。これが社員にとっては大きな励みになり、落ち着いて業務に当たることができた。

  • Q4予算はどのように確保しましたか

    2011 年 3 月の段階で何か必要になるだろうと、ざっくり年間 1000 万円程度の予算を確保したが、その後に急遽決まった支社設立は別枠だった。もともと綿密に予算を組み立てるような会社体質ではなかった。関わった人に「よかった」と言ってもらえることが何よりのご褒美であり指針で、「信用」という名の収入・売上げを重視してきたからだ。
    予算は限られていたが、協力者を募り 1 つずつ具体化させた。例えば、支社の建設は東京のオフィスの施工も手掛ける「三角屋」(本社 : 京都)に依頼し、破格の値段で施工してもらった。三角屋はこれをきっかけに、気仙沼をはじめとする被災企業の仕事を数多く請け負うことになる。

  • Q5これこそ「指圧効果」の具体例といえそうです

    岩手県陸前高田市の老舗醸造会社「八木澤商店」の社屋を再建する際には、技術継承が途絶えかけていた「なまこ壁」の修復・再現に挑んだ。なまこ壁を知る数少ない棟梁は廃業を決意しかけていたが、一転して再開することを決め、さらに今では新しい弟子が加わっているという。
    三角屋にとっては、より地域や社会貢献色の強い案件を引き受けるようになった。支社設立による「指圧効果」が実現した一例といえる。評判は地域に広がり、気仙沼市内には今、三角屋が手掛けた建築物が増えている。

  • Q6どのような体制を組みましたか

    最初は 2 年を活動の目安にし、宮城県出身のスタッフを新たに雇用した。そこへ糸井を中心に、プロジェクト毎に担当社員が入れ代わり立ち代わり訪問するかたちが定着。一方で、現地と東京事務所の間ではスカイプによる会議を繰り返した。

  • Q7現地とはどのように関係を構築しましたか

    現地に支社を置き、スタッフが常駐したのは大きかった。特に気仙沼は、顔を合わせるコミュニケーションが大切な土地柄だった。東京だけの議論は机上の空論になりかねず、現地の思いに合わないケースが出てくる。それを現地スタッフが間に入りヒアリング、調整することで、プロジェクトを進めることができた。
    また、とにかく現地を取材した。被災企業を回る「東北の仕事論。」や「東北の“長”に訊く。」シリーズなど、現地の生の声を Web 上で発信した。根底にあったのは、現地の人たちの話を聞き、関わり続けることだった。

  • Q8プロジェクトの候補や依頼が数多くある中で、どのように取捨選択しましたか

    震災後はよく「忘れてはならない」と盛んに叫ばれたが、糸井は当初から「人は忘れるものだ」としきりに口にしていた。そのうえで、初めに掲げた「自分たちはたいしたことのないもの。できることをしよう」という指針をぶらさずに、できることをやろうという意思を貫いた。

  • Q9「人は忘れるもの」を前提にしたうえで、コンテンツを企画する際に工夫したことはありますか

    関わる人たちへの「敬意」を最も大切にした。そのうえで、「ユーモア」をどう打ち出すかが重要だった。糸井は震災直後の 3 月 13 日に、自身のコラムで「光の方向を向いていよう」とメッセージを投げかけた。悲惨なニュースが連日報じられる中で、あえて光や希望に目を向け、その方向でできることを探そうと訴えたのだ。それもあり、「どんなコンテンツが自分たちらしいか」と原点を突き詰めていくうちに、自然とユーモアが生まれていったのだと思う。
    また、地域に市場(マーケット)を生み出し、日本全国から観光客、さらに世界各国の耳目も集まるような「消費地」にする発想も大事にした。例えば気仙沼ニッティングでは、原材料を外部から調達。さんま寄席やツリーハウスも全国から観光客が来ることを基点に考えている。

  • Q10あえて KPI を挙げるとすると、それは何ですか

    「喜び」を生み出せているかどうかだ。これは「ほぼ日刊イトイ新聞」にも共通する会社の根底にある指針である。「自分と仲間」「お客さんと関係者」「関係者とその周辺」「社会と歴史」の 4 つがすべて「いいね!」と喜べる状態を理想とする風土が根付いており、気仙沼のほぼ日でもこれを軸にコンテンツを発信した。また、糸井からはキレイな言葉や気持ちのいい表現にとらわれず、ひたすら「事実だけを伝えるように」と言われた。

  • Q11企業の社会貢献活動( CSR )は、どの程度意識していますか

    ことさら CSR の意味を意識したことはない。震災は東京で起きていたかもしれず、そういう状況において「知らない」とは到底言えない。広い意味で会社や組織、人は社会との関係の中でしか生きていけない。社会の中で自社がどんな役割を果たし、信頼に足る存在でいられるか。そうした社会とのつながりを突き詰めた結果でしかない。
    気仙沼をはじめ東北に関わることで、会社や個人として学んだことは計り知れない。「会社の人格」を育ててもらい、成長させてもらった。

  • Q12「人格」の成長とは、どういう意味ですか

    以前は控えがちだった社会性の強いテーマを、震災後は躊躇なく発信できるようになりコンテンツの幅が広がった。それが社会の要請だとはっきり分かったからだ。

  • Q136年目以降の課題をどうのように感じていますか

    「被災地だから」という理由で周囲が支援や関心を寄せてくれるポールポジションは失われ、特別感は薄れている。次のフェーズに入っているという認識だ。気仙沼のほぼ日のホームページもリニューアルした。現地の様子を伝える漫画や観光情報を前面に押し出し、娯楽を中心にした情報サイトにシフトさせた。
    決して大きなことをしてきたつもりはないが、現地と一緒に活動してきた火種を少しでも広げてほしいという思いはある。例えば、ツリーハウスの建設は当初は糸井が率先してスポンサーを探し回ったが、次第に周囲から「手伝いたい」という声が聞こえるようになった。現在、気仙沼市を中心に6個が完成し、10月末には7個目が完成する予定だ。
    今後も東北の各地域とつながり続けていき、長くお付き合いできる関係性を考えていきたい。

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